にわかファンの プラド美術館 訪問記 2
2008年 12月 09日
こんばんは。
まったく持ってブログ放置気味です。せっかくゴヤに感動したのだからゴヤの作品の回顧録でも書こうと思ってるのですが、やっぱり「にわかファン」には荷が重い。こんな絵を見ましたよ、と言う事で勘弁いただければ。
フランシスコ・ド・ゴヤ。
言わずと知れたスペイン最大級の画家。18世紀~19世紀に掛けて宮廷画家として活躍しました。プラドではベラスケスと同様の扱いのようです。
広いプラド美術館の南端の一端を1階~3階まで、彼の作品で埋められています。3階には、宮廷画家となる前のタペストリーの原画作者として活躍した頃のタペストリー原画。2階には、ゴヤが宮廷画家となった以降の有名な作品。そして一階には、「黒い絵」として有名な彼の邸宅に飾られていた陰鬱な作品群が展示されています。
いずれも見ごたえたっぷりの絵なので是非機会があったら是非見てみてください。
3階
タペストリーの原画「日傘」
ゴヤ初期の朗らかな作品。ネットから探してきた絵では何となく暗くてしみったれた印象があるけれども、実際の絵はパステル調の空の色が華やかなもっと明るい雰囲気の作品でした。
すまし顔だけれどもちょっぴり微笑みかけているような女の子の顔が可愛いです。
写史実的というよりもなんとなくデフォルメされているような姿からは、日本の漫画にも通じるものを感じるのですがどうでしょうか?
「マンザナレスの丘でのピクニック」
うん、とっても朗らか。みんな楽しそうですね。
政治家や貴族が庶民の暮らしを知るために、こういう庶民の風俗画を書かせたと言われているみたいです。ゴヤが宮廷画家となる前は善政が引かれていて政治も安定していたとのこと。
2階
「裸のマハ」
「着衣のマハ」
上の2枚、とっても有名ですね!!同じ女性を裸と着衣で書いた作品で、当時時の権力を欲しいままにしていた宰相ゴドイの依頼によって書かれたと推測されています。残念な事に、「裸のマハ」は僕が訪問した時には貸し出し中で本物を拝む事はできませんでした。あー、ホントは裸の方が見たかったのに!!!笑
上記に2枚を見比べると顔の表情が微妙に違います。ほんの少しだけ「裸のマハ」の方が挑発的な評定に見えるんですがどうでしょうか?着衣のマハの方は化粧乗りすぎで、七五三の女の子がするような化粧に見えてしまいます。では着衣の方セクシーでなかったかと言うと、そんなことは無く、トルコ風の衣装は十分当時のスペイン人にも刺激的にうつったことと思います。ちなみにこの衣装、「スケスケ」です。 写真では解りませんが、鼻がくっつかというくらい近づいて現物を眺めた結果、胸の辺りが透けているということが解りました。いやー収穫収穫。
ちなみにこの絵が書かれた1800年前後は、まだ絵画に置いては保守的な時代です。ヴィーナスなど神話を題材にしたもの以外のハダカ画像はご法度物だったはずです。依頼主である宰相ゴドイも自宅からは出さなかった様です。ちなみに「マハ」という言葉は人の名前では無く、「粋な女」って意味です。当世風に言い換えれば「裸のギャル」「コスプレのギャル」という事になるのかな。すいません下世話すぎますかね。
このモデルは宰相ゴドイもしくはゴヤの愛人であったと言う説が有力です。ゴヤの愛人説としては、当時の上流社会を席巻した美人公爵、アルバ女公爵という説と、ゴドイの愛人であったペピータ・トゥドゥという説があります。
当時は、このような裸婦画のモデルになることは恥ずべきこととされ、特に上流階級に属していたアルバ女公爵にとっては汚名となってしまったようです。20世紀になってから、彼女の墓が掘り起こされ「裸のマハ」とは骨格が違うことが指摘されています。遺族が汚名を晴らすべく調査したらしいです。
ちなみに、アルバ女公爵とペピータの肖像画が残っています。どちらがモデルだとおもいますか?
アルバ公爵夫人
ペピータ・トゥドゥ
続きます。
まったく持ってブログ放置気味です。せっかくゴヤに感動したのだからゴヤの作品の回顧録でも書こうと思ってるのですが、やっぱり「にわかファン」には荷が重い。こんな絵を見ましたよ、と言う事で勘弁いただければ。
フランシスコ・ド・ゴヤ。
言わずと知れたスペイン最大級の画家。18世紀~19世紀に掛けて宮廷画家として活躍しました。プラドではベラスケスと同様の扱いのようです。
広いプラド美術館の南端の一端を1階~3階まで、彼の作品で埋められています。3階には、宮廷画家となる前のタペストリーの原画作者として活躍した頃のタペストリー原画。2階には、ゴヤが宮廷画家となった以降の有名な作品。そして一階には、「黒い絵」として有名な彼の邸宅に飾られていた陰鬱な作品群が展示されています。
いずれも見ごたえたっぷりの絵なので是非機会があったら是非見てみてください。
3階
タペストリーの原画「日傘」
ゴヤ初期の朗らかな作品。ネットから探してきた絵では何となく暗くてしみったれた印象があるけれども、実際の絵はパステル調の空の色が華やかなもっと明るい雰囲気の作品でした。
すまし顔だけれどもちょっぴり微笑みかけているような女の子の顔が可愛いです。
写史実的というよりもなんとなくデフォルメされているような姿からは、日本の漫画にも通じるものを感じるのですがどうでしょうか?
「マンザナレスの丘でのピクニック」
うん、とっても朗らか。みんな楽しそうですね。
政治家や貴族が庶民の暮らしを知るために、こういう庶民の風俗画を書かせたと言われているみたいです。ゴヤが宮廷画家となる前は善政が引かれていて政治も安定していたとのこと。
2階
「裸のマハ」
「着衣のマハ」
上の2枚、とっても有名ですね!!同じ女性を裸と着衣で書いた作品で、当時時の権力を欲しいままにしていた宰相ゴドイの依頼によって書かれたと推測されています。残念な事に、「裸のマハ」は僕が訪問した時には貸し出し中で本物を拝む事はできませんでした。あー、ホントは裸の方が見たかったのに!!!笑
上記に2枚を見比べると顔の表情が微妙に違います。ほんの少しだけ「裸のマハ」の方が挑発的な評定に見えるんですがどうでしょうか?着衣のマハの方は化粧乗りすぎで、七五三の女の子がするような化粧に見えてしまいます。では着衣の方セクシーでなかったかと言うと、そんなことは無く、トルコ風の衣装は十分当時のスペイン人にも刺激的にうつったことと思います。ちなみにこの衣装、「スケスケ」です。 写真では解りませんが、鼻がくっつかというくらい近づいて現物を眺めた結果、胸の辺りが透けているということが解りました。いやー収穫収穫。
ちなみにこの絵が書かれた1800年前後は、まだ絵画に置いては保守的な時代です。ヴィーナスなど神話を題材にしたもの以外のハダカ画像はご法度物だったはずです。依頼主である宰相ゴドイも自宅からは出さなかった様です。ちなみに「マハ」という言葉は人の名前では無く、「粋な女」って意味です。当世風に言い換えれば「裸のギャル」「コスプレのギャル」という事になるのかな。すいません下世話すぎますかね。
このモデルは宰相ゴドイもしくはゴヤの愛人であったと言う説が有力です。ゴヤの愛人説としては、当時の上流社会を席巻した美人公爵、アルバ女公爵という説と、ゴドイの愛人であったペピータ・トゥドゥという説があります。
当時は、このような裸婦画のモデルになることは恥ずべきこととされ、特に上流階級に属していたアルバ女公爵にとっては汚名となってしまったようです。20世紀になってから、彼女の墓が掘り起こされ「裸のマハ」とは骨格が違うことが指摘されています。遺族が汚名を晴らすべく調査したらしいです。
ちなみに、アルバ女公爵とペピータの肖像画が残っています。どちらがモデルだとおもいますか?
アルバ公爵夫人
ペピータ・トゥドゥ
続きます。
by isaogermany
| 2008-12-09 07:24
| 08/Nov マドリッド