Bolognaに燃ゆ(Ravenna編)
2005年 11月 19日
3日目
Ravenna ラベンナに行ってきた。
今日は月曜日。再び一人で行動する日だ!昨年の苦すぎる思い出(誕生日プレゼントとしてもらったばかりの財布とデジカメをすられたのでした)を教訓に、サイフはコートの内ポケット。まとまった金額の紙幣はズボンの前ポケットに、自宅の鍵はカバンの奥に貼り付けてラベンナに挑むIsao。
ラベンナはボローニャから電車で約1時間半。東ローマ帝国のビザンチン美術を代表するモザイク画で有名な街です。一度行ってみたかった。
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あれ? けど何でイタリアにビザンチン美術が発達してるの?ビザンチンといえば、イスタンブールを中心としたトルコとギリシャが有名なはずだよね。
と言うことで帰ってきてから調べてみました。
「有名な西暦395年のローマ帝国の東西分裂のあと、東ローマ帝国はコンスタンチノープル(今のイスタンブール)に首都を、西ローマ帝国は最初にミラノ、次にラベンナに首都を移したのです。けど、この西ローマ帝国はすぐに滅びちゃうんですね。東ゴート族の攻撃で493年にあっけなく西ローマ帝国滅亡♪
けど、そのあとすぐ540年には東ローマ帝国がイタリアを支配下に置いたのでした(ちなみ聖徳太子は574年生まれ)。その時のイタリアの統治拠点がラベンナだったんですね。
で、ラベンナは東ローマ帝国がイタリアに拠点を置き始めた当時の「文化の集積地」だったわけです。」
そのビザンチン美術のモザイク画をふんだんに使った教会が、ラベンナにはたくさん残っています。写真はそのうちの一番立派な教会。サン・ビターレ教会のもの。
金色のモザイクと緑のモザイクの対比がなんとも言えず美しいのでした。季節外れなのか、他の観光客もおらず、1時間も教会の中で上を見つめるIsaogermany。首が痛い。
という訳で、教会の写真はあまり撮らない。撮っても人には見せないという主義だったのですが、見せちゃいます。
と建前はココまで。
実はこのラベンナ、観光地としての見所はすべてこの古い教会に集約されているのです。言い換えると、教会以外にはあまり写欲をそそられるものは見つからなかったのでした。そんな訳で写真が教会の中ということなんです。海辺まで行くとまた違う風景があったのかもしれないね。
夜そして再びボローニャへ。
夜、友人とっておきのレストランで食事。ちゃんとしたイタリア料理を出す店って、メニュー無いところ多いみたいですね。マスターの薦めるままの料理を頂きました。もちろん極上の味。海原雄山だってKOです。イタリアで旨い飯食いたかったら、イタリア語勉強してマスターと肩組んで語り合う。そこまで行けば僕も君もイタリア料理の達人になれる!?
こうして、飲みつ語りつボローニャ最期の夜は更けていったのでした。
お世話になりました。どうもありがとう!
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サン・ヴィターレ教会 (Ravenna 4)
by isaogermany
| 2005-11-19 23:45
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